よく「夢や希望を持て」とか「目標を持て」とか「チャレンジしろ」とか主に子供や学生の頃に言われるけど、現実的に考えられる夢や目標が見つかる人って、どれくらいいるんだろうと思う。
大概、そう言われれば言われるほど、困惑するんじゃないだろうか。
わたしはその困惑した人の1人だった。
本気で憧れたのは「ロックスター」だった訳だけど、ロックスターを「目標」とするのは愚かなことに思えたし、親はもちろんのこと、誰にも言えなかった。
そんなの、目指せる訳がない。
「警察官になりたい」とか「医者になりたい」とかいうならまだ方法論で乗り切れるけど、「スターのなり方」なんてものはない。
しかも、スターはビジュアル重視なのだ。
夢も希望も砕け散るわ、って話。
まぁ、ロックスターは「アイドル」ほどにはビジュアル重視じゃないから、もうちょっとなんとかなるのかもしれないんだけど。
じゃあもう少し現実的な夢を、なんて思ったところで、自分の中から湧き上がってきたものに代わるほどの「現実的な夢」を探すなんて無理がある訳で。
「現実的」に考えている時点で「ワクワク感」はなくなって、理性的な、頭で考えるものになる。
そもそも、「夢を持て」とか言っている大人自身が、現実的かつ打算的に職業を選び、夢や希望なんて持ってなかったりする。
そりゃ、聞いてるほうがワクワクする訳ないよね。
てか、もっと言うと、夢や希望を持ってワクワク生きている人は「夢や希望を持て」なんて言わない。
そんなことはデフォルトであるのでポイントではなく、どんなことにワクワクしているのか、今までどんなことにチャレンジしてきたのか、目をキラキラさせながら語ってくれる。
そんな「いい見本」となる大人がどれだけいるだろうか。
そういう目がキラキラした人が少ないということも、日本が衰退している理由だと思う。
生きていく中、成長していく中で、「翼を折られる」場面に出くわす。
殊更、ジェンダー規範の強い日本において、ともすると女性は「伸び伸びと」生きにくい。
そんな社会の中で、自分の得意分野を見つけ、価値を見出して伸ばし、活かしていくということ。
それは大人になった今でも難しく思えるけど、諦めず、実践しながら、大人たちにも子供たちにも伝えていくべきだと思っている。
このせせこましくて不純なものに溢れた社会に生きていると、もうどうでもいいや、と思うことも多い。
わたしが何をしたって、どうせ変わらないんじゃないか、と思うことも多々ある。
だけど。
やっぱり、これからも得意分野を見つけて伸ばして活かすということを、実践していくしかないんだろうな。
折れずにしなやかに生きていくしかないんだろうな。