力を抜いて

先日の話の続きになってしまうけど、「隙を作れ」ではなくて「力を抜いて」と言われると、なんだかホッとするのはなぜなんだろう。

そこに優しさがあるからだろうか。

 

以前にも書いたけど、昔から歯を噛みしめる癖があって、歯医者さんで「もっと力を抜いて」と言われたときは、なんだか慰められたような気がした。

それは「頑張りすぎないで」とか「無理しなくていいんだよ」とかいう意味合いが、その言葉の奥に感じられたからじゃないかと思う。

 

北風と太陽じゃないけど。

無意識に完璧を目指してしまう人に「隙を作れ」という言葉を投げかけても、「そんなもの作りたくないわい」となってしまいがちだけど、それが「力を抜いて」という言葉になると、本当に脱力してしまうから不思議だ。

 

「力を抜いて」には、自然にしてていいんだよ、素のままでいいんだよ、という肯定感があるんじゃないだろうか。

がんばらなくてもいい。

そんなメッセージが、含まれているんじゃないだろうか。

 

どうしても腑に落ちない、「隙を作れ」というアドバイス

それは多分、前回も書いたように、隙があるから付け込まれるんだ、というマイナスの意味で使われるその隙を、わざわざ作らなければいけない、という矛盾があるからだと思う。

 

 

隙は作らない。

力を抜いて、自然体でいこう。