味覚という感性

風邪を引いてから、飲むのをやめていたコーヒー。

今日のおやつタイムに解禁してみた。

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先日、アロマの日に、スクールのイベントに参加したら、そこでカフェメニューとしてコーヒーを提供していたんだけど、それが、このフレーバーコーヒー。

カルフォルニア生まれ北海道育ち」というこのコーヒーは、その北海道のコーヒー屋さんでしか売っていないらしく。

 

味覚って、やっぱり五感の一部だから、感性が表れると思うんですよね。

わたしはコーヒーでも、ワインでも、ビールでも、お茶でも、嗜好品のようなものは何でもいいとかいうことはなくて、口に合うものしか飲まない。

あと、野菜や果物であっても、産地によって味が違うので、そういうのも選んでしまう。

 

コーヒーなら焙煎とかも影響するだろうし、ビールやお酒なら発酵や作り方も違うだろうし、材料が同じでも仕上がりが違ったりもするだろう。

 

もしかしたら、年齢とともに摂取するものの受け入れ幅みたいなのが変化するのかもしれないけど、昔は何でも食べたり飲んだりしていた気がするけど、どんどん選ぶようになっちゃった。

それは味を知っていくということなのかもしれないし、それとともに自分が好きなものや必要なものがわかるようになってくるのかもしれないんだけど。

よく誰かと食事に行くときに、食べられないものはある?とか聞かれることがあるんだけど、いわゆる苦手食材・アレルギーみたいなものは何もないし、食べられないものはないんだけど、じゃあ何でもいいかというとそうではなくて、例えば安いお酒しか置いていないような居酒屋とかにはもう行きたくないし、やたらボリュームのある肉料理しかないようなお店にもできれば行きたくない。

食べれないわけじゃないけど別に食べたくはない、というか。

新鮮さとか、彩りのバランスとか、なんというか、丁寧さや気持ちのこもったものを選びたいというか。

それは見た目に表れていると思うんですよね。

見れば大体わかる。

 

多分、わたしは昔から彩りのない食事が好きじゃなかったと思う。

ホームステイしたときに一度だけ夕ご飯がでっかいフライドチキンと大量のフライドポテトとコーラだったときにショックで泣きそうだった、という話をしていたから、若い頃から平気ではなかったし、学生時代にお弁当を作っていた時も、品数や彩りを考えていたと思う。

なんというか、彩りのない食事は、心の寂しさというか、感性の欠落を表しているような気がして。

だから、カレーは好きだけど、ちゃんと野菜が入っていたりサラダが添えられていたりしないとちょっと凹む。

茶色一色って、多分、一番苦手。

それならまだ白ごはんに梅干しのほうが耐えられるというか。

 

 

なんかコーヒー解禁の話をしていたはずなのに、大幅に逸れちゃった。

いや、コーヒーって、多分本気で身体を冷やしますよ。

風邪が少し落ち着いたときにうっかりカフェでコーヒーを頼んでしまったんだけど(一応ディカフェにした)、そこからまた不調に陥ってしまい・・・。

しばらく回復に時間がかかったのはコーヒーのせいだった気がする。

カフェインというよりは、コーヒーそのもの。

なので、そこからは紅茶や緑茶にして、チャイにしたり生姜やはちみつを入れるようにして、できるだけ温めてた。

 

まぁ、それも感覚ですけど。

 

自分の身体の反応をちゃんと捉えるって、大事だと思うんですよね。

そうやってケアをするように・・と思っています。