まっすぐな目をした人たちを想う

アマプラ会員特典で「MUSICもご利用いただけます」と何度も言われていたのに無視し続けていたんだけど、今月に入ってからだったか、ようやくアプリを使ってみたら。

これが意外とよかったりして。

Apple Musicと同様に、最初のログイン時に好きなアーティストを選ぶようになっていて一通りチェックしていたんだけど、そこと連動して「お客様へのおすすめ」というのに「90年代ロック」というのが出てきたもんだから、最近はずっとそれを聴いている。

同じようにジャンル別の曲を流しているラジオ局的なアプリもあるんだけど、多分、Amazon musicの場合はジャンルだけでなくアーティストの好みも加わっているから、好きな曲が流れることが多くて。

てか、Amazonって本当にやり手だな。

プライム会員料金って、月額たった600円だぞ。

U-NEXTなんて、うっかり1ヶ月の無料体験期間をチェックし忘れていたら、2,190円とか引き落とされちゃってびっくりしたぞなもし。

ま、すごく見たかったドラマがあったから仕方ないんだけど。

 

いやいや、Amazon musicの話は単なる前置きだった。

その、流れてくる曲を聴きながら、いろいろ思い出したり考えたりしていることがあって。

 

とか書いていたら、また流れてきたThe Cranberries。

 

ロックスターの27歳伝説については以前にも書いたことがあると思うけど、そもそもそれを知ったのはKurtが27歳で亡くなったときにその伝説が広まったからで、そのとき青年期の混沌の真っ只中にいたわたしは、それを聞いて、どこか不可抗力的な、どうにもならない諦めと哀しみの混じったような気分になった。

 

そうだよね、無理だよね。

 

表現者というのは敏感だったり繊細だったりするわけで、その感性があるからこそ表現できるものがあるわけで、でもだからこそ、ドロドロの人間社会の中でそのまま生きていくことが難しい。

もう耐えられない、と思うのも無理ない。

いやむしろ、その感性のほうがまともなのかもしれないとさえ思う。

 

数年前、ロックスターの自死が続いたことがあった。

27歳を過ぎたからといって、安全圏に入ったわけではない。

みんな、ギリギリのところで思い留まったり、つかの間の幸せを感じたり、また闇にはまったりしながら、なんとか生きているだけだ。

この世界に繋ぎとめている細い糸がプツっと切れたら、あっという間に地球を離れて宇宙の彼方に行ってしまう。

 

そういう目をしている人を知っている。

 

 

自死について。

わたしには、そうなってしまった人を責める気持ちはない。

もう耐えられないから死にたい、と思うことはあると思う。

ただ、自分がそれをするかというと、それはないと思う。

どん底真っ只中のときは、自分のその行為によって大切に思ってくれている人を苦しめるのは違うと思っていたからだったけど、だいぶ大人になってからは、「命は自分のものではない」と思っている。

与えられているものだし、生かされているものだから、自分が勝手に手をかけていいものではない、ということ。

 

 

最近も、中学校で事件が起こったけど。

刃物を学校に持ち込んでいたという時点で、強い殺意を持っていたわけで。

そこまでして殺したいと思ったのはなぜなんだろう、多分それなりに理由があったんだろう、と思うけど、だからといって、殺していいわけはない。

怒りは誰にでもあるけど、だからって殺しちゃいけない。

 

だからわたしは、同じ理由で死刑には反対だ。

どんな理由であれ人を殺しちゃいけないなら、人を裁くという理由で人を殺しちゃいけない。

そんなことしたら、復讐で人を殺してもよいということになってしまう。

 

 

かといって、生きている以上、何も殺していないわけじゃない。

肉も魚も食べてるし、野菜だってその命を摘んで食べてる。

すでにその手は汚れている。

 

そのことに気づく感性があるほど、いろんな犠牲の上に自分が生きていることが辛くなったりするんだけど。

それでも生かされて今ここに存在していることは、きっと何か意味があるんだと思って、自分ができることをしていくしかないし、そうしたいから生きているんだろうなと思う。

 

純度の高い目があるからこそ、自然の美しさも動物の純粋さも感じることができる。

その目を持って人間の中にいると「思惑」とか「意図」とか「魂胆」とか、いろんなものに翻弄されるわけだけど、全てを見極めようとするこの思考を止められることはないし、それは仕方のないことなんだけど、そうやって懸命に生きている自分を否定することはないと思うし、追い詰めたりしないようにしようと思う。

 

純粋な人のベクトルは自分に向かう。

自分が傷つきやすいからこそ、相手を傷つけることにものすごく敏感で、だからこそその怒りや哀しみの矛先を自分に向けてしまう。

 

そんなときは、自然に還るといい。

木々の中を歩いているだけで、鳥のさえずりを聞いているだけで、太陽を浴びるだけで、自分を少し取り戻せる。

 

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あの頃の曲を聴きながら、まっすぐな目をした人たちを想う。