ジャスティン・トルドーという希望

わたしの頭の中がぐちゃぐちゃになっていた最中の日曜日。

選挙がありました。

 

行くも行かないも、個人の自由、かもしれない。

でも、わたしは行かない人が好きじゃない。

「わたしが投票したところで政治は変わらない」なんて言う人が好きじゃない。

 

自分の意思表示をする。

どうにか、自分の意見に近い人に投票する。

誰かに、その1票を託す。

 

 

今回はイベントがあったから、期日前投票をした。

東京都と比例。

それぞれ選んだら違う党になった。

はたから見たら、矛盾しているのかもしれない。

でもそこじゃない。

わたしは「その人」に賭けている。

 

どちらの人も、当選していた。

やっぱりちょっと嬉しい。

自分が応援したい人が、その場を与えられている。

 

 

メディアが流す報道を見ていると、誰かの揚げ足を取ったり、長いものに巻かれたり、忖度したり、恨みで人を殺したり、と、ネガティブなものが多い。

そんな中、ツイッターでフォローしている内田樹さんが、ジャスティン・トルドーの答弁を載せていた。

 

 

ああ、世の中にはこんな人もいたんだった。

危うく見失うところだった。

 

 

彼がイケメンなのは心が美しいからだと思う。

オバマさんも、イケメンだった。

知性は顔に現れる。

賢い人は、美しいのだ。

 

 

わたしはカナダ人が好きだ。

それは大枠で捉えすぎているかもしれないけど、今まで会ったカナダ人で、嫌な人は1人もいなかった。

素直でまっすぐで、相手の気持ちに寄り添う、そんな人ばかりだった。

だからジャスティン・トルドーが首相になったとき、さすがカナダ、と思った。

こんな政治リーダーを生み出せるのも、納得のお国柄。

 

それは人類の希望だ。

まっすぐで美しいものが、評価される世界。

それを思い出した。