必要性をどう捉えるか

コロナ禍になって、いろんなことの真価が問われているように思う。

それは自分自身のことも含めてなんだけど。

 

「不要不急」というワードが出てきて、じゃあその判断基準って誰がどう決めるんだ?!っていう話にもなった。

 

コロナ禍で残るもの。

最小限に抑えられたもの。

コロナを理由に後回しにされるもの。

 

コロナが収まったら、コロナが落ち着いたら。

そんな不確定な未来のために、追いやられる「いまここ」。

 

後回しにされるということは、重要視されていないということ。

コロナよりも軽く扱われる存在。

 

 

コロナ禍でも変わらないこと。

コロナ禍でこそ再認識すること。

 

対面マンツーマンで教えたときの、子供の反応。

久々の連絡に、じゃあとりあえずオンラインで話そうという反応。

「コレ、コレ」と思う。

 

 必要性に応えられるということ。

そして応えてもらえるということ。

 

「不要不急」という言葉では言い表せない、大事なものがある。

わたしはやっぱりそう思う。