今日、津田さんがTwitterでシェアしていた記事に、ニルヴァーナはフェミニズムやレイシズムの問題と深く関わっていたということが書かれていた。
そういえば、そうだった。
それがものすごく腑に落ちた。
今でこそ、フェミニズムの捉え方に変化が出ているけど、あの時代にフェミニズムを感覚的に理解できていた男性は少数派だったと思う。
その記事を読むまで忘れていたけど、確かにKurtは時々女装をしていた。
あの頃は、その理由を全然理解できてなかったけど。
抗議だったんだね。
そして今でこそHSPという認識が広がっているけど、あの頃はそんな言葉もなかった。
差別的なことに対しても、暴力に対しても、自分のことのように感じる人がいても、単なる「打たれ弱い人」みたいに捉えられていた。
男性のHSPなんて、どれほど生きづらかっただろう。
昨日の夜、お風呂に入りながら90年代オルタナティヴのラジオを聴いていて、ちょうどそれに近いことを考えていたところだった。
もう、HSPのオンパレードみたいなジャンルだし。
社会の差別や暴力、不条理や非情に対して、耐えられなくて声を挙げていた人たち。
彼らが生きることを放棄してしまっても、ショックを受ける反面、そうだよね・・・といつも思っていた。
Twitterで知ったアルテイシアさんが「ヘルジャパン」と言っているけど、ジェンダー問題でもぶっちぎり後進国の日本は、まだまだ女性に対する蔑視や軽視が蔓延っているけど、あの時代にKurtがフェミニストだった(彼は自分のことをフェミニストと捉えてはなかっただろうけど)ということを知って、なんだか救われたような、そしてアルテイシアさんの言うところの「膝パーカッション」全開の気分になった。
だからこそ共感したし、だからこそ絶望した。
こんな世界、いつでもやめてやる、と思っていた。
それこそ「hell」だと思っていた。
あの頃のヴォーカルたちが次々とこの世を去っていき、そうだよね・・・と思いつつもなんとか生き続けた今、彼らが残した作品や生き様を通して時代を見つつ、これからの世界が何を目指していくのか、このヘルジャパンをどうしていくのか、考えている。
記事にも書いてあったけど、いろんな社会運動を経た今であれば、Kurtはもっと違う受け止められ方をしただろう。
でも、あの頃に彼が生きた理由がどこかにあるのだと思う。
Chrisも、Chesterも、Scottも、きっと誰かの支えになっていただろうし、今でも活動を続けているDaveもEddieもMichaelも、ずっとメッセージを送り続けて、何かを繋いでいるんだと思う。
もちろん、ここに書いていない人たちも含めて。
この間、詩人は最強だと書いたけど、ミュージシャンも歌を書くという点では詩人であり、やっぱり大きな役割を担っていると思う。