どこまでいってもマイノリティ

いい加減、認めないといけないと思う。

わたしはどこまでいってもマイノリティだ。

いや、知ってたけど。

 

男性の中にもジェンダー問題に関心を持っている人もいる。

そういう人を見つけては、ちょっとした希望を持ったりするんだけど、それはそこに意識を向けているわたしだから「見つけている」だけであって、そこに関心がない人には「見えていない」、つまりは「存在していないのも同じ」なのが現実だ。

 

若者のほうがジェンダー問題に意識がある、ということに希望を持ちつつ、過度に期待せず、マイノリティであっても自分に誇りを持ちつつ、思想を曲げることなく進んでいくしかない。

 

 

今日もTwitterの中に「日本は見た目もほぼ同じなんだから、多様性を認めるとかいう話になったら敢えて差を探そうとして分断を引き起こす」といった感じのことを誰だかテレビで言ってたというのが流れてて、相変わらずだなー、と閉口したんだけど。

そもそも人間はひとりひとり違っていて多様であるということに未だに気づいていない、そしてそんな人がメディアでデカい顔して言ってるっていう・・・。

 

ジェンダーギャップ指数のランキングも、まだまだ下がるでしょうね。

 

「多様性」を「人種」だけの問題だと思っているって、そんなんでよくテレビに出られますね。

あ、違うか、そんなんだから平気でテレビに出られるのか。

 

花びらだって、葉っぱだって、一枚一枚、すべて違う形をしている。

ペンギンだって、群でいるとみんな同じように見えてしまうけど、ちゃんとパートナーを認識していて一生添い遂げるらしい。

「同じ種類なんだから、みんな同じでしょ」なんて思ってない。

 

ときどき、人間という生き物がものすごく愚かに思える。

 

昨日、電車の中でベビーカーに乗った2歳くらいの男の子が前にいたんだけど、この真っ直ぐな瞳がどこで濁ってしまうんだろうと思った。

大概の人は生まれたときからセクハラするわけではないし、生まれたときから差別をするわけでもない。

どこかの時点で刷り込まれ、染められ、濁っていく。

 

きっと、濁っていかない人はマイノリティなんだろうな。

どうせなら、美しきマイノリティでありたい。

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