目に見えないものを軽視するということ、第三の目の重要性

そもそも、「目に見えないものを軽視」と思った時点で矛盾が。

見えないのに「軽視」って。

視てないんじゃん?

 

いや、だからこそ。

見えないから軽んじる、ということ。

 

「重い荷物を持つ」について書いた後、読み返して思った。

物理的な荷物を持ってあげている場合には、その行為自体が「見える」から明らかなんだけど、それが精神的な辛いことを共有している場合、それは「見えない」。

 

見えないことに対しての評価(?)って、本当に低いよな、とよく思う。

ケア労働とかもそうだけど、生産的でないものって、軽んじられる。

めっちゃ大事なのに。

それがなくなったら、それこそ「生産性」が下がるのに。

 

時々思う。

なくなってから思い知るがいい、と。

でもね。

前の話とも繋がるけど、放置するといいことないんですよ。

わかっていてやらないと、悪化するんですよ。

そして、ああ、自分は知ってたのにな、と思って、また落ち込むんですよ。

 

だから誰にも見えてないかもしれないと思っても、やってしまう。

 

目に見えることが全てではない。

いやむしろ、見えないことのほうが多い。

心の眼で見ること、つまり「感じる」ことでしかわからないことが、たくさんある。

第三の目と言うけど、わたしは結構その目が鋭いと思う。

 

感覚が鋭い人って、みんな三つの目で物事を見ているんだろうな。

だから眼力が強い。

いやむしろ、第三の目が大事だからこそ、物理的に隠したのかもしれない。

ま、第三の目は「直観」とも言われるわけだから。

 

みんなもっと第三の目を鍛えるべきなのかもしれない。

物理的には外から見えていない、その感覚器を。

 

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