何かを決断するとき、「条件」に縛られてないだろうか。
わたしもそうだと思っていた。
何かを選択するとき、そこには常に条件があった。
決められた枠の中で選ばないといけない、という条件。
「選択の自由がない」とはどういうことだろうか。
それは本当なんだろうか。
世の中には不平等があるし、理不尽なこともある。
だけど本当の意味での自由は自分の中にあって、誰にも奪えないものなんじゃないだろうか。
自由がないと思っているのは、実は、自分の思い込みなんじゃないだろうか。
例えば「今はこれができない」ということがあったとしても、それは永遠にできないというわけではなく、少なくとも「今は」できないだけであって、今後のことはわからない。
だから、「今はこれが選べない」けど、次に選べるときがきたら選べばいいし、希望を捨てる必要はない。
その「選択の自由」は、自分の中に残っている。
ある状況から離れる、ということ。
それは、とりあえず今は手放すということで、永遠に失うということではないと思う。
自分の中で可能性をゼロにしたとき、そのとき初めて、完全に諦めたということになる。
それは物理的なことではなく、目に見えない、精神的な意味での存在が、自分の中になくなって初めて、何かを「失った」ということになる。
「失った」かどうかを決めるのは、自分自身だ。
選択権もチャンスも、またやってくるかもしれないし、昔に蒔いた種も、どこかで芽を出すかもしれない。
誰かの決めた枠や条件に自分を合わせるのではなく、自分の人生の鍵は自分が持っているのだと信じて、自分の手でドアを開けていく。
そうやって自分の人生を自分で動かしていく。
そういう生き方の時代がやってきている。