もうこんな時期

ついこの間、12月に入ったなー、なんて思っていたら、もう半ば近くになっている。
「師でも走る」なら、わたしなんて暴走しているくらいのスピード感かも。
昼間週3日の仕事にも慣れてきて、少しペースがつかめた、と思ったらもう2017年が終わる。
でも、少し前進したように思えるから、忙しくても気持ちに余裕が感じられる。


毎日いろんなニュースを見かけるけど、少し前より、影響されにくくなった気がする。
世の中で起こっていることとは全然別の次元で、「自分が幸せであること」に焦点を当てられているような、世の中のそれはそれとして考えるけれど、自分の中には自分の世界があって、その中の秩序は保たれているような、そんな感じがする。
まぁ何より、最近はお天気がいいということがあるけれど。


暖かな陽射しを浴びているだけで、どこか満たされたような気分になるのは、太陽のエネルギーを通して生きているという実感を得られるからかもしれない。
宇宙の広さと時空と数え切れないほどの遠い星たちの存在を考えていたら、果てしなく広がり続ける時間と空間の中で、この地球に人間として生まれることを選んで、今という瞬間に生きているということが、ものすごい奇蹟のように思えて、うっかり電車の中で泣いてしまうところだった、昨日。


みんなはどうだかわからないけど、わたしは多分、ものすごく熱望して生まれてきたと思う。
だから感覚も鋭く、一つ一つのことに対する想いも深く、記憶もくっきりと刻まれる。
なんとなく生まれてきたんじゃなくて、ものすごい意思を持ってやってきたんだと思う。
そしてその目的は、多分、みんなと幸せになることだ。


一つ一つのことに、幸せを実現すること。


幸せは、物理的な実体を持たない。
お金があったら幸せ、大きなお屋敷があったら幸せ、高級品に囲まれていたら幸せ、というものではない。
幸せは、感じる心の中にしか存在しない。
一つ一つの中に、幸せの存在を認めるということでしか、見つけられない。


宇宙の構成物質の95%が、ダークマターダークエネルギーという、目には見えないものであるのと同様に、わたしたちの世界も本当は、「大事なものは目には見えない」の世界である。
目に見えるものの中に、どれだけ、「見えないもの」の存在を感じることができるか。


何かを見失いそうになるとき、わたしは宇宙を考える。
どれだけの知識を総動員しても、なおも謎で偉大な宇宙の実体を認めたとき、目の前の奇蹟に気付くことができる。
わけもわからない大きさの宇宙の中で、こんなに小さな存在の人間が、生きているということ。
それはもう、ものすごい確率に違いない。
計算できないけれど。


ただ年末の独り言をつぶやこうと思ったのに、話がだいぶずれてしまった。
とにかく、太陽に感謝して今日も過ごしたい。
そして12月を締めくくり、2018年に繋げたい。