ふと、非公開にしていた投稿を読み返して、やっぱり公開に戻そうと思った。
誰かを傷つけたとしても、自分の気持ちをなかったことにしておく必要はないんじゃないかと思って。
他の人がどんな風に受け取るかは、自分ではどうしようもない。
そういうことじゃないんだけどな、と思っても、こちらからは連絡のしようがないから弁明もできない。
まぁ、そういうSNSならではの不条理の成せる業だ。
読み返して思ったのは、やっぱり言ってることが同じだった、ということ。
最近、男女の友情は成り立たない問題を書いているとき、また同じ現象だ、前にも書いた…と思ったんだけど、非公開にしてたの忘れてた。
書いてることが、ほぼ一緒。
同じことに傷つき、腹を立て、モヤモヤして、諦める。
これ、もしかして、おばあちゃんになってもあるの?
一方的に女性に妬まれたり、嫌がられたり。
そして「女の敵は女」の構造になる。
なんの刷り込みなの?
ドラマとかでもよく言われてる。
浮気をされた妻は、矛先を相手の女性に向けるらしい。
でもわたしは違う。
なぜそうなったんだろうと思う。
何が原因なんだろうと考え、どうすべきか考える。
本気なのかそうじゃないのか。
修復できるのかそうじゃないのか。
たとえ女性が「誘惑した」としても、それに応じなければ浮気が始まることはない。
男性から好意を向ける可能性だってあるし、なんなら未婚のフリをして女性近づいたりするケースだってある。
どっちなのか、まずは確かめない?
なんで一方的に女性が悪いことになるの?
みんな「見極める」ということを知らないのかな?
わたしは、最初から相手の女性を責めるということはしない。
多分それは、わたしが「毅然とした態度」が好きだからなのだろう。
修復が無理なら、手を引く。
少し前のドラマ、「あなたがしてくれなくても」の中で田中みな美が演じていた役が、最初はあまり共感できなかったけど最後はすごく共感できたのは、その部分の考え方が一緒だったからだと思う。
ま、あのドラマは終わり方が意味不明すぎて残念だったけどね。
話が逸れたけど。
やっぱり根本的な考え方は変わらないんだよね。
しかも、そういう選択のときにこそ、根っこの部分の人間性が出るのかもしれない。
だからわたしはずっと同じことを書いているんだと思う。
そしてそれはおばあちゃんになっても変わらない、多分。
相手の話も聞かずに「不正」だと決めつけるような人にはなりたくない。
堂々とできないような生き方はしたくない。
「いろいろあったけど今は友達です」ということが受け入れられないような、了見の狭い人間にはなりたくない。
そういうことなんだな…