昔、いわゆる思春期から青年期にかけて、とんがっていたわたしは「ハッピーエンド」が嫌いだった。
現実はそんなに都合よくうまくいかないでしょ、とか、いろいろドタバタした挙句どうせハッピーエンドで終わるんでしょ、とか、冷めた目で見ていた。
それはとても自分の実感とはかけ離れているように感じていたし、いわゆる「フィクション」としてしか見られない、ただの綺麗事のように思っていた。
現実はそんなに甘くない。
そんな夢みたいなことを願っても仕方ない。
それが、最近変わってしまった。
むしろハッピーエンドを願うわたしがいる。
せめて物語の中ではハッピーエンドで終わってほしい。
そうじゃないと、どこに希望や夢を持っていいのかわからない。
ドラマでまで厳しい現実を見せつけられたら、生きていく自信を失ってしまう。
いや、厳しい現実を見せられること自体がダメなんじゃなくて、救いなく終わってしまうことがキツい。
最後くらいは、希望を見せてほしい。
最近見た「Search www」という韓国のドラマがすごく良かった。
とても多角的に、深いところまで取り上げていて、社会的かつ恋愛的要素もある、素敵なドラマだった。
ただ、日本語版のタイトルが「恋愛ワードを入力してください〜Search www〜」となっていて、それが気に食わない。
(原題は「検索ワードを入力してください:www」だそう)
これ、ずっと気になっていて、話の内容からどう考えても絶対元々は「恋愛ワード」じゃないだろうな、と思っていた。
これを書くにあたって検索してみたら、やっぱり。
だって、ドラマの中では一度も「恋愛ワード」なんて検索してないから。
ほんと、日本語版のタイトル付ける人、どんな感覚なの?
話の内容がどんなに良くても、こんなタイトル付けられたら、単なる恋愛ドラマなのかと思われてしまう。
わたしだって、たまたまクリックして見始めたけど、それは画像がちょっとカッコ良かったから。
その雰囲気と「恋愛」という言葉が不一致だなぁとタイトルを見るたびに思っていた。
この、日本の「単純化」する風潮、本当に邪魔だからやめてほしい。
ちょっと苦情が多くなってしまったけど。
ドラマの内容に戻ると、エンディングもすごく良かった。
エンディングを知ってからタイトル画像を見ると、ある意味、「そういうことか」という納得がある。
そうか、このドラマって、いろんな社会問題を取り上げつつ、最後は「シスターフッド」で収拾してたんだな、と気づく。
いや、最後のいい意味での予想を裏切る顛末、その女性3人のカッコ良さが、例えると「テルマ&ルイーズ」に似た爽快感があって、本当にいい。
今の社会の「現在地」と目指す方向を教えてくれるような。
そして最初のポイントの「ハッピーエンド」も、いろんな側面で示してくれていて、「見て良かった」と思える。
ドラマって、そういうことだよね。
もしかしたら、昔はもっと「単純な」ハッピーエンドしかなかったのかもしれない。
わたしが共感できるようなハッピーエンドがなかったから、「嘘くさい」と思っていたのかもしれない。
「これならいいな」「こうなるといいな」「こうなってほしいな」と思えるハッピーエンド。
そんなハッピーエンドを期待するお年頃になった。
それは年齢的なものではなくて、精神的というか、未来に対する期待感みたいなものが変わったんだと思う。
もしくは、もともとはハッピーエンドが好きだったけど、昔は本当の意味でのハッピーエンドが世の中にはなくて、今になって「現実的な」ハッピーエンドの作品が出てきているから期待が持てる、ということなのかもしれない。
そんなハッピーエンドをわたしも目指したい。