知るということ

さっき、雪が舞っていました。
そして今は晴れています。
胸騒ぎはまだ消えません。


何かに気付く、知るということ。
それによってもたらされるのは、いいことばかりじゃない。
知ることで、恐怖が生まれることもある。
子供が無邪気でいられるのは、社会をまだ知らないからだ。
いろんな結果を知ってしまうと、それが怖くてチャレンジできない、ということがある。


大震災の予知を自分が受けていたのかもしれないということ。
あのことがあってから、私はこの感覚をどういう方向へ持っていくべきなのか、分からないでいる。
そして似たような感覚になるたびに、不安になる。


あの日、正確な時間は覚えていないんだけど、ずっと体調が悪くて寝込んでいた私は、急に身体が軽くなって、何かがスコンと抜けたように楽になって、そのことが嬉しくて音楽をかけてノリノリになってた。
それからしばらくして、津波の警報が町のスピーカーから聞こえてきて、え?っと思ってニュースをチェックして大震災を知った。
私がルンルン気分だった時に多くの人が大惨事にあっていたと思うと、それをどう捉えるべきなのかが分からなくなる。


不調のあとに、ぱかっと開く時がある。
今までは、何も考えずに「イエーイ!」と思っていた。
でもあれ以降、そんなときにどこかで何か悪いことが起こっているんじゃないかと思って、それを感知したくないような気分になる。


どうしたらいいんだろう?と思うけれど、仮に私が地震の予知をしていたんだとしても、何かを変えられるわけでもない。
今までと同じように生活していくしかないんだろうけど、その可能性を知ってしまった以上、もう同じではいられない。
何かを知ることとは、そういうことなんだろう。