ことばと思想の選択

以前からずっと言っていることではありますが、
出てくることばというのは、その人の内面が表れると思います。
思想とか、感情とか、意思とか。
よく、政治家なんかが「失言」をしてしまっていますが、
あるときに誰かがその失言に対して、
「つい本音が出てしまった」のだと言っていたけれど、
その通りだと思う。
「女性は子供を産む機械」の時だったか、とにかく女性に関してのことだったんだけど。
その人の根底にそういう考えがなければ、そんな言葉は出てこない。
「使用した言葉が適切でなかった」であれば改善の余地があるけれど、
選んだ言葉の問題じゃない時はどうしようもない。
それは、「適切な人格を持ち合わせていなかった」ということである、
と、その指摘した人も言っていたと思う。


これは時代の背景もあるのかもしれないけれど、
やはり比較的に年配の人が発する言葉の中に、
「男尊女卑」の傾向を見ることがある。
まぁ、もちろんその人の人格の問題もあるのだけれど、
それを、「当たり前」だと思って過ごしてきた人にとっては、
「男尊女卑はいけませんよ」と今更言われても、ピンと来ないのかもしれません。


それで思い出すのは、ボーヴォワール
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉。
女性の社会的地位の向上を、訴え続けた人。
まだまだ課題は山積。
男性も女性も本当の意味で自由になるように、
意識改革を続けなければいけませんね。
変わり続けることが、前進。