外に出ないので、朝の支度をどこまですべきか、考えてしまう。
結局今日はプリンタのインクジェットが切れてしまったので、ヨドバシまでは出かけたんだけど。
会社のネットワークに入らなくてもできる仕事をしようと思ったら、ワードのMacとの互換性が悪くて、やっぱりプリントアウトすることにしたからなんだけど。
そうこうしてたら、昨日終業間際にセットアップを手伝ってくれたリーダーから、LINEが。
家での接続状態を確認したりしてたら、ビデオ電話かけてきてくれた。
結局今日はほぼスッピンのようなメイクしかしてなかったんだけど、そんな姿でビデオ通話していると、やっぱりちょっと恥ずかしい。
リーダーも部屋着でくつろいだ状態だったので、お互い様なんだけど。
明日からは、ちゃんとメイクしておこうかな・・・
ネットワーク許可が出るまでは「自宅待機」だから仕事してなくてもいいんだけど。
でも何もしないのも気になっちゃうから、ゆるゆる検索作業してた。
一応、定時になったから、今日は終わり。
まぁそれにしても。
こんなに感染者が増えているのに、混んでる電車に乗ったり、みんなで集まったりしてる人がいるんですね。
ラジオを聴きながら作業をしていたんだけど、「今日は結婚記念日なんだけど新年度スタートの日だから旦那は例年飲み会をしていて、今日も1人です・・・」というお便りを読んでいて、「え?集まるの?」ってナビゲーターも言ってたけど、本当にびっくり。
集まるの?こんなときに??
これはもう、いい加減にもう、想定しないといけないことなんでしょうね。
世の中、そんなに「自律」している人が多いわけじゃない、ということ。
幸いにもグローバル企業で就業していたから対策もちゃんとしていて、自分でも情報を確認しながら情勢を見ていたけど、世の中、そんな人ばかりじゃない。
それどころか、「まぁ大丈夫だろう」みたいな人が多い、思っているより。
志村さんが亡くなって、やっと危機感を持ち始めた人も多いだろう。
でも、未だに飲み会をやっている人が普通にいるとか、ちょっともう引いちゃう。
自分で考えて動くということ。
周りがどうであれ、自分の頭で考えて、何が最善なのかを模索し、行動する。
それは「自律」だ。
それは、仮に周りの環境(親とか学校とか)が間違っていたとしても、それに流されずに自分を最善の状態に持っていく力だと思う。
昔から「自立」してるね、とかよく言われていたけど、わたしは「自立」も目指していたかもしれないけど、「自律」しようとしていんじゃないか、と思う。
悪い影響を受けずにどれだけ自分を律することができるか。
こういう危機的状況のとき、「自律」しているかどうかということが、重要になってくる。
自律神経がホメオスタシス(恒常性)を司っているように、人が自律しているかどうかによって、ある程度の恒常性(自分が自分であること)を保って生きていけるかどうかを左右しているような気がする。
もちろん、感染したら「悪者」と言っているのではない。
不可抗力な部分もあるだろう。
だけど、リスクを最低限に抑える行動とはどういうものなのか、ぐらいは考える必要がある。
感染を広げない、ということが、社会にとっても、ひいては自分にとっても最善である、ということぐらいは理解してほしい。
それくらいの思考力は持って、自律していてほしい。