自分の意見をまとめる

世の中にある、相対的なものの見方。
文系と理系、理屈と感情、明確さと曖昧さ、効率と非効率、云々かんぬん・・・
その境界線は、実は曖昧で、入り混じっていることが多い。
だけど、わたしが自分の性質を考えるとき、「論理的」というものがかなり大きなウェイトを占めているように思う。


論理が整然としていないこと。
理屈が合わないこと。
道理がなってないこと。
矛盾があるのに、それを認めないこと。
歪んだものを「まっすぐです」と言われても、納得できない。
その微妙なズレを、見逃せない。
いや、ズレてますよ、と言わずにはいられない。
そしてその理由を相手に納得させるには、論理的な説明が必要になる。


スピーチの原稿を考えながら思った。
論理思考とは何か。
自分の言いたいことの筋道を立て、具体的な内容を考え、意図が伝わりやすい文章を考え、簡潔にまとめる。
その技術は、どうやら標準装備ではない。
みんながスピーチが得意というわけではないのだ。


でも、どういう過程でその技術を得るのか。


それには、「自分の意見を言いたい」という意欲が必要だ。
伝えたいことがあるから、人は言葉を選び、構成を考える。
どうでもよければ、表現は上達しない。


相対論に戻ると、本当に人を動かすには、どちらかに偏っていてはうまくいかないと思う。
その境界線を越えていることが、必要だ。


物事は、二面的ではなく、多面的である。
単一的ではなく、複合的である。
だからこそ、時には自分の方向性がわからなくなるけど、そこで模索して検討した後は、いろんなものがミックスされた思考の中で、また自分の選択をするんだと思う。
それが積み重なって、自分の意見となり、生き方となり、伝えるべき内容となるんだと思う。


そう考えるとやっぱり、すべての根源は「伝えたい」という気持ちのような気がする。