呪いの言葉から自由になる

最近、ある1日体験講座を受けたことから、ある人と知り合った。

ずっと興味がある分野の講座だったんだけど、そこからいろんな案内を受けるようになった。

なんとなく圧に押されて、個人講座を開始してみたものの、先月は講習費をどうがんばっても捻出できないということもあり、キャンセルした。

無理をしてでも受けたいか、というと、ちょっと違うということもあった。

そしたら、講座とは別に話をしたいのでお茶をしないか、と言う。

 

 

それに対する反応。

違和感。

 

 

本能は知っていると思う。

何か違うな、と思うときは、違う。

それを、勇気がないからだとか、決断力がないからだとか、行動力がないからだとか、言うこともできる。

 

でも納得できないことは、すべきじゃない。

 

すったもんだ話した結果、もう一度会ってみることにした。

それで違うと思えば距離を置けばいい。

 

 

なぜ気が向かなかったかと言うと、前回の講座の時、なんだか上から言われている気分になり、途中から「はい、すみません」というのが返答になっていたからだった。

それをまた体験するのは、辛い。

それを思い切って「ちょっと辛いんです」と言ってみたけど、「そんなことは初めて言われた」と言う。

 

もう辛いことを我慢することも、無理にがんばることも、したくない。

 

 

返してもらうものもあって、会うことにした。

「反応しない」という修行だと思って。

 

 

そして夢の話をしたとき。

それはどこで?と聞かれたので、まだはっきり決まってないんですけど・・・と答えたら、「それじゃあ絶対叶わないわよ」と言われた。

 

出た。

呪いの言葉。

 

 

具体的でなければ夢は叶わない、という話は今までにも何度も聞いた。

そうなのかな、と思って場所や期日を明記して願い事を書いたこともあったけど、その期日には叶わなかったから、どうやらそういうことではないな、と思って、やらなくなった。

そして最近になって、純粋さや本気度のほうが大事だということをよく聞くようになって、さらには自分の状態が現実を作るという話に辿り着いた。

 

 

つまり、最終的には、すべて自分が決めるということ。

何を信じるかも、どうしたいか決めるのも、自分。

それは自分にしかわからない。

 

見えているヴィジョンも、感じる違和感も、他の人にはわからない。

だからひたすら自分に聞くしかない。

そして自分が「いい状態」であることが大事。

いい気分であること、いい状態であること。

それはお金には関係なくて、天気が良くて気分がいいとか、美味しいものを食べて気分がいいとか、それを味わうことポイント。

その話を聞いたとき、それだな、と思った。

 

自分を「いい状態」にする。

その状態を味わうのに、莫大なお金は必要ない。

 

 

だからわたしは、その呪いの言葉にバッテンをつけることにした。

「今のあなたではダメ」「それでは夢は叶わない」「もっとがんばらないと手に入らない」・・・

 

そんなことはない。

むしろ、そうなったら楽しいね〜、と言って話している方が盛り上がるし、気分が上がるし、アイディアも出てくる。

ネガティヴな言葉からは、ネガティヴな感情しか引き出せない。

だからそれに左右されず、「いやいや、叶うし」と思って、自分はいい気分でいる。

 

 

「こうしなければならない」というのは、もう古い。

以前はみんなそう言っていた。

そして、がんばらないから得られてないんでしょ、という自己責任の空気が蔓延していた。

でももう時代は令和。

世界もどんどん進んでいる。

過去は過去でしかない。

 

 

それより不思議なのは、なぜそこまでわたしに押し売りしてくるんだろう?ということ。

わたしがやってもやらなくても、その人の人生には影響ないわけだから、どっちでもいいはずなのに。

「今はこれをやってます」と言うと、「その方法では時間がかかるし自分では難しいからこうしたほうがいい」と、また何かを薦められる。

なんでそんなに「自分の方がわかっていて正しい」ということを主張するんだろう?

ビジネスだから?

 

彼女のやり方を否定する必要はないけど、わたしはわたしだから、従う必要もない。

 

 

今回のことで思ったのは、自分も相手を否定するようなことを言わないようにしようとか、自分の方がわかっていると思うのは違うなとか、振り返るいい機会になったな、ということ。

 

呪いの言葉は受け取らない。

自分も口にしない。

「今のあなたじゃダメだよ」とか、言わない。

夢は叶うと信じるし、いい気分になって幸せを味わうことに集中するし、今あるものに感謝する。

それだけでいい。

 

結果は後からついてくる。