就活のスーツがいつの間にか真っ黒になっていたこの頃では

昨日のポリタスTV、途中で脱落してしまったんだけど、就活における、いわゆる「押し付け」に関しての話だった。

 

就活用のスーツを買ったことないどころか、就活自体をほとんどしなかったわたしは、「辛い目に逢う」以前に、初っ端から切り捨てていた。

唯一、就職課の募集を見て面接を受けた会社(運良く受かった)も、何を着て行ったか覚えてないけど、いわゆる「リクルートスーツ」でなかったのは確か。

 

そもそも、あの頃のわたしは「みんなと同じ」とか「無難な格好」とかが本当に嫌だったから、ともすると他の人と違うことをアピールする傾向にあった。

そんなわたしが、リクルートスーツなんかを選ぶわけがない。

今でも絶対選ばない。

 

幸い、わたしは自分のジェンダー認識に関しては一致していたので、スカートが苦痛とかいうことはなかったけど、それでもタイトスカートは嫌いだったし、膝丈とかなんとか、規範を押し付けるようないわゆる「マニュアル」的なことはガン無視してた。

 

ていうか、あの「マニュアル」は、なんなの?

「これが正解」「これがお手本」から始まり、しまいには「こうしないと受からない」「これができないと失格」みたいなダメ出しになり、最終的には人格否定までしてくる。

余計なお世話を通り越して、公害でしょ、あれは。

 

何様なの??

 

没個性どころの騒ぎではなくなって、もう囚人にでもなったのかと思う。

でも解せないのは、なぜそれに「みんなが従うのか」ということ。

確かに「こうしないと受からない」と脅されたら従わないといけない気分になるのかもしれないけど、そんなのおかしいよね、と、すぐに気づかないんだろうか。

 

わたしは、リクルートスーツ着てないからって落とすような会社になんか、入らなくていいと思っていた。

絶対合わないし。

でも、それが通る会社が少ないということも、なんとなく解っていた。

とはいえ、自分を偽ることはできないし、偽って入ったところで上手くいかないだろうと思って自分を貫いていたけど、世間一般的には大手企業を目指すような人はリクルートスーツを着てマニュアルに従って対策を練り、目立つようなことはしてなかったと思う。

 

それでも、どこかにわたしの価値を見出してくれる場所があるはず、と思っていたけど、今これを書きながら気づいたのは、そういう場所は全て教育関係だったということ。

塾、英語スクール、大学。

そしてどの場所も、スーツを強要しない。

英語スクールはジャケットは必須だったし、ちょっと細かい規定があったけど。

 

まぁ、教育関係、特に学校だと、服装に厳しいところもあるみたいだけど、わたしの場合、そういう場所に行き着くことがほとんどなかったのは、お互い引き合っているというか、類友みたいなことなのかもしれないと思う。

 

そういえば、わたしの甥っ子が入った会社も、面接の際に「自分が一番好きな格好で来てください」と言われたというから、やっぱり類友なのかもしれない。

 

 

就活の人たちが着るリクルートスーツは、わたしの頃は紺色とかグレーだったんだけど、いつの間にか黒いスーツばかりになっていて、ある意味悪化しているし。

あれ、作るほうも作るほうだけど、それに乗っかって着るほうも着るほうだと、わたしは思う。

よくそんなの着れるよね。

半分喪服じゃん。

 

そんな没個性を強要するマニュアルに従うようなメンタルの人が、社会に出て活躍できるんだろうかと思ってしまう。

反骨精神とかないと、社会を変えていけないよ?

 

いや、そもそも変わる気も変える気もなくて、ただ従っていたいだけなんだろうか。

それこそ、顔のない操り人形じゃ・・?

 

 

ということで、ポリタスTVでは就活が辛くて脱落したということを話していたけど、それって実はそっちがまともで、そこに違和感が持てることこそ、大事なことなんじゃないかと思う。

結果的に社会問題に意識を持って活動してて、世の中を変えていくような人になっているし。

 

つまりそういうことなんだろうな。

社会にうまく馴染めないからと言って、それをマイナスに捉えることもないんだろうな。

だって、その社会が間違っていることも多々あるわけだから。

 

もっと自分を貫いてもいいんだよ、きっと。