あの頃のわたしを支えてくれた、海という場所について。
同じ松前町でも地区が3つあり、内陸の北伊予地区だと海がないし、もっというと同じ松前地区の海でも、漁港なのか砂浜なのかで雰囲気も違う。
わたしが育ったのは伊予市に近い海側で、10分も歩けば浜辺に着いた。
今でも思う。
あの場所に住んでなかったら、自分を保てなかったかもしれない。
中学生以降、家で何かあると、夜な夜な自転車で海に行っていた。
泣いたり歌ったり叫んだりしても、誰にも聞かれることもなく、誰にも見られることもなく、気分が落ち着くまで、気が済むまでいられた。
わたしのすべてを受け止めてくれた海。
冷静に考えてみたら、あんな時間に(しかも女子が)家を出て行っていたら、普通の親なら心配だったと思う。
1回だけ力ずくで止められたときがあって、確かそのときだか顔に傷ができるほどのケンカになってて、もしかしたらさすがに危ないと思ったのかもしれないけど、それでも振り払って家を飛び出して(もしくは部屋に戻ってから後でこっそり)海に行ったと思う。
ちなみにケンカと言っても、わたしは口で言っていただけで暴力は振るってなくて、手を出すのは常に母親だった。
自分も暴力を振るったら負けだと思っていた。
わたしはそんな低俗なことはしない、アンタのようにはならない、と思いながら必死で耐え、気持ちを抑えるために海に行っていた。
あのとき、実はわたしが家に戻ってくるまで気が気じゃなかったとか、あるんだろうか。
この話を友達にしたら、「虐待?」みたいに言われたりもするんだけど、そのときは虐待という言葉が今ほど一般的じゃなかったし、「自分は虐待を受けている」というより、「自分は理不尽な母親とケンカしている」という認識だった。
だから、世の中の虐待を受けている子供たちも、そうかもしれないと思う。
自分が母親から虐待を受けているなんて、そんな風に思えないし、思いたくないし、ましてやそれを誰かに訴えることなんてできない。
自分が「いい子」にしていれば、こんな目にあわなくて済むはずだ、だからがんばってがんばって、「いい子」になろうとするんだけど、どんなにがんばっても責められるし非難されるし叩かれる。
そして「自分がダメなんだ」と思う。
いや違う、わたしは悪くない、こんなのはおかしい。
そう思っても理不尽は続く。
そのわたしの葛藤を、海が受け止めてくれた。
わたしにとっての海は、そういう存在だった。
だから時々、あの海に会いに行きたくなる。
どうしようもないわたしの荒れた心に、ただあるがままに、静かに、時に激しく、寄り添ってくれた、あの海に。