大人になんかならなくていい

エルモの動画を見ていたら、「エルモは3.5歳だよ」と言っていた。

そうか、エルモは3歳半なんだ。

 

永遠の3.5歳、エルモ。

キャラクターだから、歳をとらない。

そう考えると、ちびまる子ちゃんだって永遠に小学生なんだけど、エルモの持つ永遠さとはどこか違う気がする。

それは何だろう?

 

 

わたしがどんな3歳半だったのか、よくわからない。

2歳半くらいで、エルモのような無邪気さや純粋さを失っていたように思う。

無邪気な子供でいられたのはそこまでで、それからは周囲の期待に応えなければいけないんだろうという、義務や責任のほうが大きくなって、自分の本当の望みは受け入れてもらえないんだという諦めがどんどん強くなっていった。

そのままの自分ではダメなんだ。

そういう風に思っていた。

 

 

そんなわたしが、ずっとエルモが好きだった理由。

それは多分、あの無邪気で純粋なところが、本当は自分のあるべき姿だということを、どこかで知っていたからじゃないだろうか。

 

 

「無邪気で純粋」であり続けること。

それは、大人になれば難しい、とされてきた。

でも本当にそうなんだろうか。

エルモのように、永遠に無邪気で純粋であることは、あり得ないんだろうか。

 

 

「無邪気で純粋」の、一体何がいけないんだろう?

そんな素晴らしいことを、なぜ排除する必要があるんだろう?

大人になることがそれを排除することなら、わたしは大人になんかならなくていいと思う。

永遠に3.5歳のエルモでいいと思う。

素直で真っ直ぐで、感情豊かで愛らしい、エルモのままでいいと思う。

 

それを失うくらいなら、わたしは大人になんかならなくていい。

今までも、これからも。