聞こえない声を聴いて、見えないものを観る

自分に見えている世界が、同じように他の人にも見えているとは限らない。

むしろ、みんな少しずつ違うのかもしれない。

 

それはなんとなくわかっていた。

考え方も、感じ方も、見え方も、聞こえ方も、違う。

 

わたしが見ている世界は、端々に何かが宿っていて、ふとしたときにものすごく魅せられて、ものすごく感動する、そんな世界だ。

 

どこにも遊びに行けないゴールデンウィークに、唯一達成感のあった、植え替え作業。

新しく迎えたミニバラの蕾が、次々と開いている。

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土のせいなのか、買ったときには緑がかっていた花が、薄いピンクに変化している。

葉っぱに勢いがあって、それが魅力的に見えて買ったんだけど、花もどこか凛々しく、ピンと張っている。

花弁の先まで、意識が行き届いたような。

 

 

そんな花の一つ一つも、小鳥のさえずりも、新芽の柔らかさも、感じ取れるということ。

聞こえない声が聴こえるということ。

 

そうやってわたしは、心の中で、会話をしている。

ミニバラに向かって、多肉植物に向かって、犬に向かって、鳥に向かって、木々に向かって、そして太陽や星に向かって、会話をしている。

 

すべてのものに宿る、見えない何かを観ている。