封印された話

このブログには何回か書いた気がするけど、わたしは小さい頃から、なんとなく「結婚して出産すること」に対する否定的な感覚があった。

それは家庭環境に起因するわけだけど、それは別に「わたしは結婚・出産しないと決めた」ということではなくて、なんとなく「無理なんじゃないか」と思っていた、という感じだった。

 

一昨日、「何か涙を封印していること、辛くて忘れたことにしている過去があるかも」というリーディングメッセージを受けて、そんなのあったっけ…と思っていたんだけど、昨日、急に思い出してしまった。

 

当時の交際相手の父親に、わたしの母親について調べられ、「そんな性質が子供に遺伝したら問題だ」と反対されたという話。

 

今思えばあのとき、漠然と不安に思っていたことに追い討ちをかけられ、「結婚も出産もしてはいけない」という烙印を押された感覚になり、結果的に結婚と出産を封印してしまったのかもしれない。

 

そして思った。

「その言葉を聞かなかったら、違っていただろうか…」

仮にその父親がそう言って反対したとしても、本人に伝える必要があっただろうか。

「そう言われたけど、自分は親に逆らっても結婚する」と決めた事例ならまだしも、それを理由に別れる場合に、「その事実が更に苦しめて追い詰め、今後の人生の幅を狭めることになるかもしれないから言わない」という選択肢はなかっただろうか。

 

きっと想像できなかったんだろうな。

わたしがどれだけ苦しんで、どれだけ必死に生きてきたか、どれだけ不安で、どれだけ自分が怖かったか。

 

そう、わたしは自分が怖かった。

わたしもああなるんじゃないか、まともな人生を歩めないんじゃないか、幸せになれないんじゃないか。

 

そしてその通りのことを言われた。

反発しつつも、「ああ、やっぱり」と思った。

 

あのとき、わたしは封印したのかもしれない。

世の中の否定的な言葉をフル総動して、わたしはわたしに十字架を背負わせたのかもしれない。

「そんな遺伝子を持って生まれた人間は幸せになんかなれない」と。

 

もうその封印は解かないといけない。

わたしにも幸せになる権利はある。

いや、権利なんていうものが保証されなくても、幸せになっていい。

それは誰にも侵害されてはならない。

侵害を許してはならない。

 

どんな遺伝子を持っていようと、人として尊重されるべきであるし、人として認められるべきである。

わたしだってそうだ。

わたしとして、存在が肯定されるべきだ。

 

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