命が無事であること

朝の中央線。

ホームに着いたら接触があったとのことで、止まっていた。

しばらくして再開されて、遅れて激混みになった電車に乗っていたら、急停車した。

わたしは辛うじて空いた席に座ったところだったんだけど。

今度は発車したばかりの駅で人身事故とのこと。

 

東京に来た頃は、あまりに頻繁に人身事故が起こることに驚いた。

そして、あまりに人身事故に慣れた東京の人たちが、「またか」という感想なのにも驚いた。

 

でも、わたしもそうなってる。

「また遅延か…」「激混みするの、嫌だな…」

それが最初に頭に浮かぶ。

 

まだ止まっている激混み車内の中、具合が悪くなる人が出ないか、それも気になる。

ホームを外れて止まっているから、ドアは開けられないとのこと。

 

 

そういえば、ここ数日はどこかザワザワしていて、先日のColdplayのYellowのときもそうだったけど、昨日も夕方くらいから神経が落ち着かなくて。

なんか、影響あるんだろうか?

 

今、救急車の音が聞こえた。

助かるといいんだけど。

 

 

命について考える。

捨ててしまえるような命なんてないと思う。

個々が抱えているものはそれぞれある中、それでも生きているということは、それだけで尊いことで、「今まで生きていて偉かったね」とお互いが労うような、貴重なことなんじゃないかと思う。

 

そんな朝の出来事です。

みなさん、どうかご無事で。

 

写真はザワザワした昨日の夕焼け。

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紅く染まった感じが印象的だった。