若者たちに対する責任を負うのは

若者を見捨てたくないということを少し前に書いたけど、前々回の「若い女性を正社員にしてません」問題と合わせて、また書きたくなったので書いておく。

 

わたしはいわゆる「男女雇用機会均等法」後の世代で、でも実際に就職するときはバブル崩壊後の就職難の時代の中にいた。

とはいえ、そもそもの考え方が「アバンギャルド」(反抗的、ロックとも言う)だったので、「安定を求めて大企業に就職するとか公務員になるとか意味がわからない」という思考で、「生徒に高圧的な教師になんかならない」と教職課程も取らず、いわゆるリクルートスーツを着てゾロゾロとブースを巡るような場所には一度も行ったことがなく、卒業が近くなってから流石に就職しないわけには・・・と思って中小企業?の求人に応募して拾ってもらったような人間なんだけど。

こんなことを言っても「負け犬の遠吠え」もしくは「言い訳」のように聞こえるだろうけど、正直、「男女雇用機会均等法」があっても女性が「対等」に扱ってもらえることはないんだろうと薄々感じていたし、セクハラっぽいことも普通にあったし、そもそも「優秀な女性は煙たがられる」から、そこを目指しても何の得もないと感じて、世間に失望していた、割と。

男性であれば好条件となる学歴が、女性の場合は悪条件になるなんて。

いい大学に行っていることが「プラスになる」のは、男性の場合のみ。

女性は、相手の男性のランクを超えてはいけない。

 

「男女雇用機会均等法」なんて、まやかしなんだと思った。

実際には差別が至る所にある。

 

わたしはそういうことにやたら敏感で、世間に失望していた。

建前、上辺だけの言葉、不誠実な態度、誤魔化しに対して、心底嫌悪感を示していたし、辛辣な態度で接していた。

I don't belong here.と思っていた。

 

でも最近思う。

ここまで膠着した社会、「変化できない社会」を、これ以上放置できない。

放置するべきではない。

今までは「大人たちがそうしてきた」と思っていたけど、今ではもう、「私たちがそうしてきた」という責任を負う世代になっている。

今の若者たちが生きていこうとしている未来は、私たちが作り上げた社会システムの中にある。

私たちが変えられなかったことに若者たちがこれからも苦しむとしたら、それは私たちの責任だ。

 

自分と同じ辛さを味わって欲しくない。

翼を折られて欲しくない。

だから、立ち上がらなければいけない。

 

そう思う。

 

f:id:rock_azure:20230212211221j:image
写真は一昨日の雪。