今回来ていた交換留学生の中に、性自認が女性の人がいた。
窓口で見かけたのは渡日してきたばかりの時だけで、その後は話に出てくることはあっても見てなかったんだけど。
帰国する時に窓口に来たら、洋服が変わってて、少し印象が違った。
たまたま対応したんだけど。
サングラスとマスクをしていたから、あまり表情とかは見えない。
ただ、とても小さい声だった。
サインをする手が、骨格は大きいんだけどマニキュアをしていて、仕草も女性っぽい。
ふと、りゅうちぇるのことを思い出した。
ああ、この人たちは、本当に生きづらいんだろうな。
持って生まれた体と心が一致していない。
いや、心が一致していないというより、世間から向けられる規定と一致していないというか。
自分らしく生きようとしても居心地が悪いんじゃないだろうか。
枠にはまりきらないというか。
その小さい声を聞きながら、試験で発表をするのが辛いから代替手段を許可してほしいという要望を出していたことを思い出した。
あまり他の留学生たちと交流してないということも。
ああ、そうだよね。
視線だとか気の遣われ方とか、いろいろあるだろうな。
それが理由かどうかもわからないけど。
話は全然違うかもしれないけど。
この身体の中に自分のエネルギーが入りきらない、抱えきれない、と思っていた時期があった。
今でこそ年齢のせいなのか、エネルギーが手に負えないというほどではなくなったけど。
若い時こそ、そういうものをコントロールできなくて、どうしようもなく思う。
あの人たちにとっては、むしろ身体の大きさよりも繊細すぎる心がはまりきらないというか、大きな身体を持て余すというか、そんな感じなのかな、と思う。
がんばって、生きぬいて、と思う。
でも、無理しないでいいよ、とも思う。
なんとか自分の居場所を見つけて、少しでも楽しい時間や幸せな時間を過ごしてほしいと思う。
と、同時に。
彼女たちが女性トイレを使うと性犯罪が増えるみたいなバカなことを言う人間に腹が立つ。
どれだけ、肩身が狭い思いをしているか。
むしろ男性トイレになんか行きたくないだろうと思う。
性犯罪をするような人間が野放しにされている社会が悪いだけなのに。
ちゃんと理解されるって、本当に難しいことなのかな。
結局、本当の自分の姿で生きるということは、自分自身で創り上げて守っていかないといけないのかな。
少なくともわたしは、そういうマイノリティや弱い立場の人たちを守ったり居心地を担保したりできる人間になりたい。