意見が言える組織体制

予想通りの状況になってきた。

日本の対応に海外が警戒を強めている。

そりゃそうですよね。

やってることがめちゃくちゃですもん。

 

非常時に体制やシステムの本質が露わになるということはよくある。

今回は日本の社会全体の本質が浮き彫りになった。

日本の問題点は、組織の指令系統がシステム化されていないこと(誰がどう決めていくかが明確でない)、責任を取らされることを恐れて誰も何もしようとしないこと、誰もが忌憚なく意見することができないこと(そういう雰囲気が蔓延している)、間違いを軌道修正するのではなく責めるだけで終わってしまうこと(だから誰もが責任を取らされるようなことを避ける)、という負のループで延々と回っているところだ。

そんな組織にいるもんだから、ただ上に従うことを優先し、体調が悪くても出勤する。

都合の悪い事実は隠していればいいという考え方になる。

 

「問題解決」という意識が低い。

例えば「こんな内閣は総辞職だ」というのも、最終的にはそれが責任の取り方だけど、まずは今やるべきことをやってほしい、与党でも野党でも誰でもいいから。

それとも本当にそれができる人が誰もいないんだろうか。

 

日本の中にも優秀な人はいるんだから、そういう人が集まったら、問題解決できるはずだ。

それができていないのは、いろんな部分に縦割りだとか部外者だとか、そういう狭い視野でしか捉えられない、一種の病気みたいな考え方があるからだ。

 

SNSの中にも、ただネガティヴな批判だけを出しているものがある。

そういうものは、大概過激な言葉が使われていて、不快感だけが残る。

 

「問題提起」と「ただけなしているだけ」がごちゃ混ぜにされている。

それはSNSだけでなく、いろんな組織で、いろんな場面で見られる。

その入り混じった意見や主張の中から、問題点を取り上げ、解決方法を策定し、関係者と話し合い、より良い組織や環境を創り上げていくというのは、時間も根気も必要な作業だ。

どんな場合も、いろんな人の意見を聞きつつ、精査・模索していくことが大切だと思う。

 

意見を聞かない組織は基本的にダメだと思う。

というか、意見を聞かずに何がわかるんだろうと思う。

 

意見が言えない組織は破綻する。

問題点を表面化することができず、内部で腐っていくから。

 

 

「組織」というか、学校とかでも同じだと思う。

ちゃんと生徒の話を聞けているか。

聞かなきゃわからない。

その言葉がどういう意味で発せられているのか、「よく」聞かないと、本当の声は聞こえない。

「大丈夫です」「何でもありません」と言っていても、本当は違うかもしれない。

 

それはもしかしたら、スキルなのかもしれない。

スキルを持った人が、それを必要とする場所にいること。

社会がそんな風に回っていくことを願う。

 

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