言葉を使った表現って、いろんな例えを使っているから、文字だけ見てると矛盾しているみたいになっちゃうこともある。
先日、「個人戦」と書いたけど、これって「戦い」ではないよな、と、今日改めて思った。
1ヶ月くらい前、政府やメディアなんかが「コロナとの戦い」とか「一丸となって戦う」と言っていて、その表現は違うよな、と思っていた。
そして、世間のいろんな問題点などが見えてくるにつれ、だんだん自分だけががんばっているような気分になってた。
だから「個人戦」という表現をしたんだけど。
今日、ある人のメルマガが久しぶりに来て、あと、読んでないけど福岡伸一さんの記事のタイトルを見て、また思い出した。
ウィルスは別に敵じゃない。
自然界に普通に存在していて、ある意味、ずっと生物と共存してきたわけだから。
新型が出てくるのも、生き残りのための「変化」の一部だと思えば、自然なこと。
転換期であることは、間違いない。
自宅待機にも少し慣れてきた。
夕方のスーパーは混むので、午前中や昼間に行くことにした。
そしたら、全く見てなかったトイレットペーパーが午前中に置いてあって、そのあともう一度夕方に行ったら棚が空っぽになってた。あーー、やっぱり仕事をして帰りに寄るような人には行き渡らないんだな、と実感した。
マスクなんかも、ドラッグストアによっては時間を変えて品出ししているなんていう話を見かけてはいたけど。
なんでしょうね。
なんでまだ需要と共有のバランスが回復してないんでしょう?
ま、そこはおいといて・・・
自宅待機ならではの、そういう余裕を、少し楽しめるようになってきた。
昼間のうちに外に出かけるとか、天気に合わせて洗濯をするとか、お腹が空いたらそのタイミングでランチを食べるとか、下ごしらえが必要な料理をするとか。
あと、サボることを少し学んだ。
自宅待機でもお給料もらえます、と言われて、じゃあ何もしない、なんていうのはちょっと罪悪感があって、自宅でもできる作業をしているけど。
それもそんなに義務感に駆られて真面目にしなくていいか、と思えてきた。
で、好きなロックを聴きながら、歌ったり踊ったり(座ったまま)しながら、作業してる。
まあまあ自由奔放。
ある意味、自己改革かもしれない。
少し早めの買い物をした帰り道、まだ明るい空の下、桜を眺めたりしながら、なんだか満ち足りた気分になって、コロナの中でもこんなに幸せを感じられるんだ、と思った。
なんか、わたし最強だな、と思って笑っちゃった。
無敵だわ。
そう、敵なんて、いない。
ただ自分の世界がある。
写真は作業風景。
土曜日に買ったお花が、いい感じにバックグラウンドになっている。