命日の日に

昨日は母の命日だった。

父が亡くなったときは3・11の年だったので何年だったかも覚えているけど、母は何年だったか覚えてなくて、自分が何歳だったかで覚えている感じ。

そしてもう15年も経つということに気づく。

 

なんだかもう随分昔のことのように思えるけど、しばらくはいろんな感情が残っていて、なかなか消化できなかった。

10年ひと昔と言うけれど、時間とともに区切りがついていくことはある。

 

 

そんな命日の日に、エンタメ記事を書く仕事(?)で、三浦春馬くんの記事が当たってしまった。

正直、向き合うのが辛かった。

彼の死は突然過ぎて、なんだか掴みどころのない闇のようで、理由を詮索しても仕方がないけどなぜだったんだろうと思う、そんな感じだった。

 

記事を書くために彼の映像をいくつか見た。

思えば、最近はあまり見ていなかったから、最近の彼を知らなかった。

いや、なんとなくニュースなんかで目にはしていたんだろうけど。

積極的に知ろうとしていたわけではなかった。

 

爽やか好青年のイメージが強いけど、見ていた動画の中の彼は、なんというか、突き詰めた感じがあった。

演技も歌もダンスも完璧にやっているんだけど、なんだか自分の中にあるエネルギーを必要以上に燃やしているような感じに見えた。

なんか燃え尽きちゃうような。

 

 

笑ったときに出る、ふわっとした感じが素敵だった。

純粋な雰囲気と同時に、どこか儚い感じの美しさを持っていた。

それがどこかで壊れてしまったんだろうか。

 

彼が世界をどのように見ていたのかはわからない。

糸が切れたように飛んでいってしまった彼を、どのように捉えたらいいのかもわからない。

だけど多分、彼は彼なりに精一杯生きていたのだと思う。

今はどこかで、誰かの手を握ったり、肩を組んだりしていたらいいなと思う。

 

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