システム構築の重要性と無意識な「悪」への加担

システムの問題。

これ、わたしの話の結論に出てくることが多い。

 

世の中の問題を解決するには、システムを作ることが必須で、そしてそのシステムは全体図が見れる人が作るべき。

それがわたしの信条で、延々と変わらない。

 

システムとは。

 

物事を改善する仕組みだとわたしは思っている。

 

だからこそ流動的で、変化に合わせて対応するべきで、常に評価し、検証し、改善し、組み立て直すことが必要なものだ。

 

それを自覚している人が少なすぎる。

いつもそう思う。

 

完璧なシステムはない。

でも、ポイントは「完璧を目指す」ことだ。

 

それなくして、「よりよい」システムは存在しない。

 

誰かに犠牲を強いたり、弱いものが声を上げられなかったり、不公平が生じたり、評価が見合ってなかったり。

そういうものの解消を図るのがシステムだ。

それは「機械的」だとか「合理的」だとか、いわゆる無機質なものではなく、むしろ有機的であるために創り上げていくものだ。

 

それが理解されないことに、わたしは時々、絶望感を感じる。

何かをよりよくするために尽力することに、なぜそこまで無関心になれるのか、不思議でならない。

 

「諦め」「無関心」「冷笑」といったものに、ものすごく嫌悪感を感じるときがある。

それは多分、そういうものが現状の「悪」に加担していると感じるからなんだろうと思う。