玉川上水沿いにおける、伐採の惨事

お天気が回復したので、久々にお散歩をすることに。

蜜を避けて、近場で、長時間歩くなら・・・ということで選んだ玉川上水沿い。

少し前から気になっていた木々の伐採問題が、なんと、悪化していた。

 

いや、そうでしょうよ。

その様相はありましたよ。

 

でもね。

ここまでやると思ってなかったんですよ、迂闊にも。

 

だからショックが大きかった。

もう怒りなのか悲しみなのかわからないくらいに。

その表現しがたい感情を消化するために、Soundgardenを大音量で聴きながらしばらく睨めっこしていた。

 

おのれ、あの木々たちに何をした?

植樹したであろう桜だけを残して、全て残らずちょん切ってしまった。

切り株というには若すぎるものも全て、いっしょくたに、一切合切、ちょん切った。

 

あの木々が、あれほどまでの大きさになるために、どれだけの年月を経ていたのか。

高々何十年か生きただけの人間が、バッサリ切ってしまう権利を持ち得るのか。

自然に対する敬意はないのか。

 

たまたまお昼の時間に見ていたマツコの知らない世界で、絶滅危惧種が増えていることを「全て人間のせいなんですけど」と繰り返し言っていたのを聞いたばかりだったけど、また人間の傲慢さを見てしまった。

 

ウィルスにやられるのは自業自得だと思った。

自然をコントロールできると思うなよ。

そんな人類なら滅びてしまえ。

そんな気分だった。

 

 

調べたらわかるのかもしれないけど、どの範囲をどこが管理しているのか、わからない。

放置されているように見える場所も時間の問題で、これから手が加えられてしまうのかもしれない。

自然のままに残っているところがわたしは好きだけど、それはもう今や一部となってしまっていて、不自然に剪定されている(これがまたセンス悪すぎて見るに耐えない)場所もあり、でも久しぶりに通ったら伐採されている箇所が思ったより増えていて、ものすごく危機感を感じた。

こうやって、失われていく。

それはもう時間の問題で、玉川上水は、もはやわたしの憩いの場所ではなくなるのかもしれない。

 

 

どうか切られないでほしい。

そう願いながら、歩いて帰った。

ストレス解消に行ったんだか、ストレスを感じに行ったんだか、わからない散歩だったけど、それでも自然は美しくて、真っ直ぐだった。

 

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*伐採の様子

 

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幹から大きさが測れる。かなり枝を広げていたんだろうな、このケヤキ。

 

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これは逆に、木肌からかなり若くて初々しかったことがわかる。こんな伸び盛りの木を切るとは、まるで若者の未来を奪っていく日本の社会みたいだ。


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 桜以外の木が無くなって、「キレイになった」とでも言いたいんだろうか。

もう雑木林のような「ダイバーシティの美しさ」は、必要ないとでも言いたいんだろうか。