傍観者にならないことが大事

職場のハラスメント研修の中にあった言葉。

 

ハラスメントって、「意図しないところで加害者になっているかもしれない」んだけど、なんせ当事者意識を持っていない場合には、そこに気づくこともできない。

だからこそ、「自分は関係ない」「自分はやってないから当事者ではない」という人をどれだけ減らすことができるかが肝心だな、と思う。

 

わたしは「ただの傍観者」が好きじゃない。

なぜってそれは、潜在的な「肯定者」で「加害者」だから。

 

身近なところで「いじめ」の構図がそうだ。

積極的にいじめを行ってなくても、傍観者であることでいじめを肯定し、加担してしまっている。

 

最近感じたこと。

一見「客観的」のように見える報道が、いわゆるこの「傍観者」なんじゃないか、ということ。

 

真剣に訴えているのに「この論議が面白い、面白くない」みたいに言われたり捉えられたりしていると、なんだか「ネタ」として消費されているような、いじめられた人が必死で抗議しているのを薄ら笑われているような、妙な気分になる。

「ジェンダーは選挙の論点にならない」も然り。

 

「自分には関係ない」みたいな顔をして、外野で笑って見ているような。

その加害性に気づいていない「サイレントマジョリティ」の「傍観者」。

 

いじめがなくならないのも、ハラスメントがなくならないのも、ジェンダーギャップが埋まらないのも、「傍観者が多いから」。

「自分には関係ないこと」だと決めつけて放置し続けている。

 

でもその放置は「肯定」であり「加害」であるわけだから、傍観者も「現状を肯定する立派な当事者」だ。

 

問題を「放置」しても「先送り」しても、逃げられるのは一瞬だけで、またどこかでぶち当たることになる。

むしろ、山積みになって重くなるだけ。

 

だから傍観者にはならない。

見て見ぬ振りをしない。

 

それが大事。

 

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