少し前に「退路を断つ」とか書いたけど。
実際にはいろんな周りの状況とかに揺られて、indecisiveになってしまっている自分がいる。
頭に浮かんだのが「indecisive」だったからそのまま書いたけど、日本語だと「優柔不断」だそうだ。
そういや、そうか。
感覚的には「決められない」という感じだったんだけど。
ま、そんな言葉の問題は置いといて。
ずっと頭の中で、あーだこーだと考えあぐねて、どうしたもんだか・・・と思ったりもするけど、それでも「必要なことは起こるべくして起こる」んだろう。
そして思った。(ここからが壮大な妄想)
世の中には、抗えない宿命みたいなことがある。
否応なしに起こる現実、本人の意思とは関係なく訪れる出来事。
そういうものについて、よく耳にする。
だけど。
私自身に起こったことに関しては、そう思うことがほとんどない。
結局わたしに必要だったから起こったんだろうとか、あれはあれでよかったんじゃないかとか、そう思えるようなことしかない。
そして考えるほどに、「それはわたしがそう望んだからではないか」と思えてくる。
宇宙は、わたしが望まないことを与えようとはしていない。
わたしが本気で嫌がることはしない。
なんなら、ギリギリまでわたしの意思を尊重しようとしているのでは?
だから、優柔不断になっていたとしても、その過程も含めて、納得するまで待ってくれているのでは?
いろんなスピリチュアル系の話があるけど。
大いなる力に操作されてるとかいうのではなく、むしろめちゃくちゃ尊重されているのでは?と思った。
なんでそんな考えに至ったのかわからんけど。
もしそうだとしたら、それこそ「この世は自分の思った通り」ということなんだと思う。
それは「アンタがそんなこと思うからそうしてやったんだよ」なんていう横暴な姿勢ではなく、「あなたがそう思うならそうして差し上げましょう」という、「意を汲んだ」対応なんじゃないかな。
だから、真っ直ぐ素直に望めばいい。
そんな宇宙を信じればいい。
そんな気がしてきた、今日の午後。