声のトーンで何を話しているかわかること

これって個人差があるんでしょうか?


雰囲気で察知できること。


話している言葉から内容を把握するというより、その人がどんなトーンで話しているかで、内容が分かってしまう。
「あぁ、こういうことが言いたいんだな」と思う。最後まで聞かなくても分かることが多い。
友達なんかと話していても、最初の部分を聞いて、
「あー、こう、こう、こう、ね。」と言うと、「そう!そう!」といった具合。


なんかこう、背景が見える感じ。
その人の言葉の裏にあるもの。
イメージというか、映像的にわかる感じ。


静かに誰かと向き合っているときとかはいいんだけど、大勢の中で話していたりすると、他の人の声が耳に入ってきて、目の前の話に集中するのが大変だったりするときがある。
しかもそれが、心地よい背景を持った声ならいいんだけど、なんだか不純なものが混じっていたりすると、とても不快で、排除するのに必死になって疲れてしまうことがある。
いつも思う。あれ、みんなは平気なの?


電車の中とかでイヤホンで何かを聴いている人の中には、何かを遮断しようとしているんだな、と思える人がいる。
先日まで電車通勤している時、携帯をスマホに変えて、ラジオを聴いていた。
かなり紛れる。
目の前の、大勢の人たちを、音のない景色に変えてくれる。半分くらいは。


話が逸れましたが、そんな風に、声の中には波動があって、それはその人の感じているものだったり考えていることだったりして、それが強く感じられるように思う。
だから例えば英語にしても、
イントネーションが好きで私に合っているということもあるんだけど、
単語が半分くらいしか分からなかったとしても、話している内容は分かってしまう。
だから、すごく英語が出来るみたいに思われるときがあるけど、そういうわけではないと自分は思っている。


声、話し方、雰囲気で、大体その人の持っているものが解る。


それって、観察力とか分析力の問題なんだろうか?
自分でも分からない。
昔は、みんなそれくらいの感覚なんだと思っていた。
でもどうやら違うみたいだ。


英語に関してもう少し言えば、
2年ほど前にハワイに行ったとき、乗換えで空港で待っていたときに現地の友達同士っぽい人たちが近くで話していて、具体的な話は分からないんだけど、どういう話題なのかが雰囲気で分かって、世界中どこへ行ってもこの感覚は変わらないんだなぁ、としみじみ思った。
「この人たちとは話が合わないな」という感じ。


でも、合う合わないって、みんなある程度察知してるよね?
例えば道を訊くとき、声を掛ける人は選んでるよね?
いかにも知らなさそうとか、意地悪そうとか^^、そういう人には声掛けないよね?


だから、度合いが違うのかな、と思う。
そういうのもあって、私は人混みが苦手。不特定多数の大勢が苦手。
いろんなものが混じっていて落ち着かない。
それでも不思議と「いせや」の井の頭公園店は落ち着くのですが。
あんなにワヤワヤしているのに、不快感がない。
あれ、なんでしょうね?
そういえば、改装しちゃうみたいですね。さすがに耐震の必要アリとかで。
あの昭和な感じがなくなってしまうのは残念ですねー。


またまた話が逸れましたが。
音楽も、声や音によるところが大きい。
今、よく聴いているシガー・ロス。
アイスランドだから、言葉は全然分からない。
だけど、落ち着く。
ある意味、分かる必要がない。
もう1つ聴いているQUEEN
こちらは英語だし、分かりやすいんだけど。それはそれでハマる。
音楽には、言葉以上のものがあると思う。
いわゆる、波動が重なったものというか。
いろんなものが乗っかってる。
まぁ、だからその波動が濁ったり軽かったりしてると、聴いていられないんだけど^^


シガー・ロスの世界。
言葉が具体的には分からない、ぼんやりとした世界。
そのぼんやりの世界は、心地いい。
はっきり見えないほうがいいときがある。
はっきり解らないほうが心地いいときがある。
雰囲気だけで、波動だけで、充分なときがある。