若さと美しさ

ヘルタースケルターを観た。
前回に観た時は、なんだかはちゃめちゃなイメージが強くて内容があまり響いてこなかったんだけど、今回はどこか違う観点で見れた気がする。
意外とメッセージがあったことに気付いた。


美しさとは何なのか。


「若さは美しさであるけれど、美しさは若さではない。美しさとは、もっと深いものだ。」
こんなセリフ、あったんだ。
前回は心に残ってなかった。


途中、美しさと強さについての会話がある。
この二つは関連していると私も思う。


美しさが若さだという風潮は強い。
若く見えることに躍起になる人も多い。


常に10歳は若く見られてしまう私は、若く見られたいと思ったことがあまりなかった。
若く見られたい人にとっては羨ましいことなのかもしれないけれど、私には逆にコンプレックスだったから。
かと言って、老けて見られたいわけでもない。
人間とは勝手なものだ。


成長期が永遠に続かない以上、細胞がずっと若いなんていうことはありえない。
その状態の違いは10代の生徒を見ていて毎日実感する。
肌のハリが違う。
見た目うんぬんということよりも、生物的なことだ。
いくら私が若く見えるといっても比べ物にならない。


ただ、それは生物としての、細胞の話である。
人間は生き物であるけれど、ただの動物ではない。
もっと複雑だ。
そして「価値」を創造することができる。


美しさに「価値」をつけるとしたら。
それはどういうものだろう?


私の思う「美しさ」には、強さが伴う。
曲がりのない、真っ直ぐさが伴う。
濁りのない、透明さが伴う。
そして、優しく照らす光を伴う。


それはただ「若い」だけでは含有できない、目に見えない無数の粒子の集合体だ。
その一つ一つの粒子には、深い想いが詰まっている。


成長期の美しさの根源が生命力だとしたら。
成熟期の美しさの根源は?


What is your answer?