英語に抵抗がないだけで世界は広がる

わたしが英語を勉強するようになったのは、単なる好奇心からだった。

リズム感のいい洋楽、っていうかロックを聴くようになり、何て言ってるんだろうと興味を持ち、一緒に歌ったりしているうちに、英語は好きで得意な科目になっていた。

それは兄がいたおかげで小学生から洋楽に触れたからなんだけど。

歌詞を見て、辞書で調べて、けったいな日本語訳と見比べて(ロックの和訳は結構ひどい先入観が満載だった)、いやいや、そんなことは言ってないだろう、とか思ってた。

 

そんな風にノリで勉強し始め、歌ったり真似したり音読したりしていただけなんだけど、「英語には抵抗ない」という感覚がずっとあった。

 

結局は、それが大事なんじゃないだろうか。

 

なんでもそうだけど、「完璧にできる」なんていうレベルを目指していたら、いつまでたっても自信が持てない。

でも「抵抗がない」ぐらいになら、なれると思う。

そのためにはどんどん真似してどんどん話して、使えるツールの引き出しを持っていればいいんだけど、そして使うことに慣れればいいんだけど、なんだか日本人は「お勉強」で終わってしまってぜんぜん「使わない」から「使えない」ものにしてしまっている人が多い。

本当にもったいない。

 

前回書いたCEOのメールも、自分で読むことでストレートにメッセージを感じられた。

 

イムリーなものであればなおさら、常に全てを日本語に翻訳してくれるとも限らない。

そんな英語発信のものを、自分で受け取ることができたら。

そして、その世界の中に自分も入ることができたら。

 

自分の可能性はものすごく広がると思う。

 

 

今回のコロナのことで注目し始めた感染症専門医の岩田先生。

彼も、海外での経験がある人だった。

やっぱりそこなのかなぁと思う。

自身は「僕は口が悪いからもうメディアには出ない」と言っていたけど、わたしは全然口が悪いなんて思わなかったし、それはただストレートに表現していただけだったし、つまりは日本的な「同調」をしないからそういう風に叩かれるだけであって、言っていることはものすごくよく理解できた。

もし日本では彼のことが理解できない人が多数なのであれば、それは日本人の考え方を見直す必要があるということだと思う。

ていうか、もっと脳みそ使って、って思う。

自分の頭で考えてよ。

短絡的なことで騒いでないでさ。

 

 

ま、トイレットペーパーの品薄は他の国でも起こっているらしいから、人類のレベルなんてそんなもんなのかもしれない。

ただ、これからはそういうものが幅を利かすことは難しくなってくるんじゃないかな、と、なんとなく思う。

 

話が逸れたけど。

 

自分で考えるという思考力に、英語に抵抗がないという力が加わったら、結構世界は広がって、いろんな可能性を感じられるんじゃないかとわたしは思う。

それはツールとして、持っておくといいと思う。

 

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そしていつもツッコミたくなる看板。

「CLOSE」じゃなくて「CLOSED」です・・・