わたしは昔から、相容れない人に対して説明することを放棄してしまうことが多いように思う。
「どうせ言ってもわからないだろう」と思ってしまう。
特にムキになっているような人を見ると、興ざめして話す気力を失ってしまう。
「女は感情的だ」とか言うけど、声を荒げている男性だっていっぱいいる。
だからこそ、わたしは落ち着いて話す人が好きだ。
もちろん、気持ちが高まることもあるし、力が入ってしまうこともあるけど、それは他人に対して向けられることではないし、攻撃的になるのは話が違う。
本当に理解してもらいたいのなら、力でねじ伏せるのではなく、冷静な態度で接するべきなわけで。
それをしていない時点で、問題解決を目指していないんだという意思表示になっているんだけど。
気づいてないんだな、と思う。
でもそこで、言ってあげたほうがいいのかどうかがわからない。
そうじゃないですよ、と言ったところで、相手が冷静にそれを受け止めるような気もしない。
しかも、無駄に傷つく。
辺り構わず刀を振り回す人には、できれば近づきたくない。
不条理だなぁと思いつつも、そうやって一つずつ声を上げなければいけないんだろうか。
「もういいですか?」と言いたくなる時がある。
「そっちが勝手にするなら、こっちも勝手にするけど?」と思う時がある。
「そんなわけないじゃん」と思っても、それを相手がわかるまで、その理由を丁寧に説明してこちら側の主張を聞いてもらう必要があるんだろうか。
被害を被っているほうが説明を求められたり、冷静であることが前提になっていたり、物質的証拠がないと取り合ってもらえなかったりする。
さらには落ち度を指摘されたり。
そんな目に遭ったのは、隙があるからだ、とか。
わたしたちは、散々自分を責めてきた。
自分のせいなんだと、悪いのは自分なんだと、思ってきた。
そうやって自分の尊厳を自分で剥奪するということを享受してきた。
もうそこから解き放たれようと言っているのに、まだその世界が素晴らしいんだと言う人がいる。
いやいや、何言ってんの、と思う。
それに対していちいち声を上げるのは、本当に面倒くさい。
それでも、やっぱり声を上げることが必要なのかなと思う。