純粋で真っ直ぐあるために心を強くもつ

久しく更新していませんでした。

お元気でしたでしょうか。

 

なんとなく更新できていない間に情勢がどんどん変わってしまい、もう何を言ったらいいのかわからなくなった、そんな感じでした。

 

一体、どこへ向かっていくんでしょう、この世の中。

 

そうでなくても、日々いろんなことを思ったり感じたり考えたりするのに。

大きな出来事があると、「言語化」するまでに時間がかかってしまう。

それはある意味、自然なことだと思う。

 

暴力はいけない、戦争はいけない、人を殺してはいけない、誰かを踏み躙ってはいけない、命を粗末にしてはいけない。

そんなシンプルなことが、どうしてこんなにも伝わらないんだろう、どうして共通認識にならないんだろう、と思う。

それはどこで起こっても、どんな規模であっても、国内だろうが国外だろうが、街中だろうかが教室の中だろうが家庭の中だろうが、同じこと。

起こっていることの本質と向き合うことが大事。

 

いろいろ考えていると、自分の目の前で起きている理不尽や不条理や不誠実や不公正を、見過ごしたり放置したりした結果が、大きな問題となって具現化しているんじゃないかと思えてくる。

みんなが不正を見逃したから、自分に関係ないことだと放置したから、もしくは、長いものに巻かれ、不正に加担したから、大きなツケとなって返ってきてるんじゃないか。

 

だからわたしは思う。

もっと理不尽や不条理や不誠実や不公正に対して、怒るべきだと。

そして声を上げるべきだと。

蛮行に対して「許さない」という姿勢をとる。

その本質はいわゆる「不寛容」という誰かの失敗を責め立てるようなものではなく、「腐敗を防ぐ」ためのもので、誰もが健全に過ごしていくための心構えだと思う。

 

それは遠い国の話ではない。

同じ地球という惑星に住んでいる以上、避けて通れないし、無関係ではいられない。

 

わたしは性格上、いろんなことに憤るけど、目の前にある問題に対しての「無関心」とか「無責任」とかいうものにも、ものすごく反応してしまう。

「悪意」と同じくらい、毛嫌いしてしまう。

多分それは、行き着く先が同じだからだと思う。

 

悪意の先も「腐敗」だけど、無関心や無責任の先も「腐敗」だ。

何か手を打てば好転したかもしれないものが放置され、結局「悪化」して「腐っていく」のを見るのが耐えられない。

まぁ、ときどきやさぐれて「そのまま腐ってしまえ!」と思うこともあるけど。

 

 

人の命は儚い。

せめて自分が生きている間くらいは、純粋にまっすぐ、輝いていたい。

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写真はマウナケアの夜明け。