時々、ふと何かを思い出しても以前ほど心が痛まないと気付く。
これって昇華された、っていうことなんだろうか。
それはきっと、いろんなことが積み重なった上で起こっているんだろうけど。
最近「底なし子の大冒険」の公演を観たことが影響しているのかもしれないと思う。
演劇の最後に繰り返されていた言葉。
「底なし子が引き受けた」
受けた傷、そこからくる不安や恐れ、自分や他人に対する疑心暗鬼、優しさや愛情に対する不信感。
ぐちゃぐちゃで、ドロドロで、いろんなものが入り混じった、底なしの沼。
それを「引き受けた」と言ってもらえたこと。
それがファンタジーのように聞こえても、現実の中に亡霊のように出現するブニョブニョで形のないオバケのような存在を知っている身としては、そんな言葉でもオバケが退治できるのなら信じたいのだ。
それは「呪文」だ。
その呪文を放てば、肩がふっと軽くなる。
背負ってきた黒雲が、薄くなって消えていく。
身体中に刻まれた溝が埋められ、皮膚が再生されていく。
底なし子が、まっすぐ純粋な目で呪文を唱えるから。
そこに嘘はないと思えるから。
もう苦しまなくていい。
底なし子は、傷を受けた自分であり、過去の自分なんだと思う。
自分と切り離された誰かではなく、全て知っている自分であり、だからこそ受け止められる自分なんだと思う。
辛さを知っている自分だからこそ、その重みを信頼して任せられる。
そうやって、昇華していくんだなとふと思った、昨日のこと。