正義を振りかざす前に

正義って、なんなんでしょうね?

 

年齢を重ねるほどに、物事にはそれほど「確固たるもの」がある訳じゃない、ということがわかる。

何かを一面だけでは判断できないし、「絶対」だと思っていたものが、そうじゃなかったりする。

「普遍性」でさえ、時代と共に変わったりするんだから、「確かなもの」なんてない。

敢えて言うなら、「変わらないものなどない」ということだけが、普遍性を持っている。

皮肉なもんです。

 

だからわたしは、「これが絶対的な正義なんだ」と声高に言う人を見ると引いてしまう。

 

物事には常に「曖昧さ」があって、「完全には言い切れないけど、多分、ほぼ、こういうことだろう」くらいの温度と力量で判断するしかない。

 

わたしにとって「正しい」ことが、相手にとっても正しいかどうかはわからない。

それはどちらかが「間違っている」というとは限らず、ただ「物の見方が違う」から引き出す答えが違う、ということかもしれない。

 

平行線を辿る場合に、どういう形に落ち着けるか。

どちらかが妥協するという場合もあるし、一方が強行するという場合もあり、物別れに終わるということもあるだろう。

ただ、自分からの視点だけで判断するのではなく、「引いて見る」ことで理解が得られないか、考えてみる必要があると思う。

 

 

ちょっと話は逸れるけど、ある国からの留学生で、自分の事情ばかり主張してくる人がいて。

まだ若いからというのもあるかもしれないけど、まるで入国できないのはこちらに非があるかのように言ってくるので、こんなに軋轢ばかり起こして得られる結果が、プラスに働くことなんてないのになぁ…と残念な気持ちになる。

もちろん、政府の手続きが煩雑なこともある。

だけど、その政府から奨学金をもらって大学に行くんだから、ある程度受け入れたら?と思うんだけど、どうやらそうは思わないらしい。

 

必要な主張はするべきと思うけど、あまりに一方的だと、逆効果だよな…と思う一例になってしまっている。

 

 

自分の正義が相手の正義であるとは限らない。

自分の正義ばかり振りかざしていたら、本当に必要な主張さえ、聞いてもらえないかもしれない。

それは誰のためにもならない。

 

まぁ、それがちゃんとわかっていたら、こんな戦争ばかり起こらないんだろうな。

アカデミー賞では散々「暴力はいけない」とか表明したり裁いたりしている割に、戦争を全力で阻止することができない、これまた皮肉な世界なのだ。

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