晴天の、正しい休日

今日は、午前中ずっと土をいじっていた。

苗を買ったのと、ミニバラがどうにも調子悪いのとで、鉢を総入れ替えすることに。

だいぶ収拾つかなくなっていた多肉植物も、根こそぎごっそり掘り起こした。

ていうか、あの子たち、最初に買ったときは小さなペアだったのに、そこから伸びて伸びて、横からどんどん増えて増えて、果てしなく繁殖するんだよね。

しかも、水もそんなに必要としないし、根っこもそんなに張らない。

放置しても全然大丈夫。

強いよね。

 

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ということで、大きすぎる部分は切り落として、あとは土に差してみた。

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これでも枯れずに成長するんだから、手入れは楽だ。

 

バッサリ切ったミニバラがどうなるのか。

もうダメかもしれないけど、それならそれで仕方ない。

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お天気なので洗濯も2回回し、植え替えが落ち着いてからお昼ご飯を食べ、久しぶりに電子ピアノを弾いて。

なんだかこんなに心赴くままに過ごしたの、久しぶりだな。

 

正しい休日の過ごし方。

 

しばらく、「何か生産的なことをしていなければいけない」という観念に囚われていた。

何も成果物が得られないことは、ダメなことだ。

収入につながる仕事をしていない、それではマズい。

「行動したことがすごいよね」という声がある一方で、「集客はどうするの?」という声も多かった。

そういう見込みも種まきも勉強も、何もないままスタートしたことが、「なんだか無鉄砲で無謀な行動だね」と言われているようで、「なんとかしなきゃ」「結果を出さなきゃ」という焦りになっていた。

 

自分の行動は遅れている、時間を無駄にしてはいけない。

そんな気分に支配されていた、ずっと。

 

「同性愛は生産性がない」なんて政治家が言ってしまうような世の中で、何かわかりやすい成果物を出していなければ生きている価値がないように思ってしまう。

でも本来、地球はそういう場所じゃないはず。

 

植物なんて、育って、枯れて、そしたら根っこも葉っぱも土になってまた循環するんだから、それだけですごいよね。

ただそこに生えていて、何も生み出していないように見えるけど、地球にとって不可欠で、かけがえのない存在だよね。

 

だから多分、ただ自分が自分らしく生きているということが、価値があるっていうのは本当なんだと思う。

道端の雑草と同じように、人間も自然に生きられたら。

キラキラと映えるような、誰かに自慢できるような毎日じゃなくても。

 

好きなことをして自然に生きている、そういう姿に価値を見出せる、そういう世界であってほしいと思う。

 

 

昨日は夕方の海を見に行った。

波間で黄昏ていた犬が、めちゃ可愛かった。

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海は穏やかで、空は青く、雲も月も白く光って、美しかった。

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